沖縄の戦跡 言葉なんかすっ飛んでしまう・・・・・

日本に来た外国人学生に、よく聞かれることだが・・・・・

             「沖縄ってきれいなところでしょう。いい観光コース、教えて下さい」

そんなとき、いつも考えてしまう。(自慢じゃないが、本島についてはけっこう詳しいのです)

沖縄は海は言うまでもないが、山間部も美しいし、グスク(昔の城跡)などの歴史遺跡も多く見所はいっぱい。
でも、絶対見て欲しいと思ってしまうのが、いわゆる「戦跡」 (太平洋戦争の)です。
日本人にはもちろんですが、外国の若者にも是非見て欲しいと思うのです。

学生達は地図を見ながら 「じゃ、リゾートと戦跡とどちらを先にした方がいいですか」 とたずねてくる。

そこで、また考えてしまう・・・・先に戦跡を見たら、あとが憂鬱になるかもしれない。
                 でも先にリゾートを満喫すると戦跡はパスして、もっと遊びたいと思うかも知れない・・・・

けれど戦跡を見ることなく沖縄を回るのは、余りにも残念で意義がないように思えてしまう・・・・


6月23日に平和祈念公園で 「沖縄全戦没者追悼式」 が行われた。

正午の黙祷・知事の平和宣言のあと、地元の小学生比屋根憲太君が「平和の詩」を朗読した。

            こんな青い空は 戦争は似合わない。
            祖母の涙も    似合わない。 
            祖母は 生き残った喜び、生き残った悲しみ を感じているのだろう。

戦跡を訪れたものは、必ず、この一節のような気持ちを抱くにちがいありません。


戦跡で最も有名なのは「ひめゆりの塔」ですが、他のガマ(避難壕)にも訪れて欲しいと思うんです。

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                     現在は花に囲まれた姫ゆり資料館


             今回、私は「糸数アブチラガマ」を訪ねました。

この壕は病院壕として使われていたのですが、戦火が及ぶと他のすべての壕がそうであったように見捨てられ、
動くことの出来ない病人や負傷兵が看護する人も無く取り残されていたのだそうです。

* ヘルメットをかぶり懐中電灯を手に、ガイドさんのあとをこわごわ歩いて行くと、
入り口近くに、当時使われていた道具や靴などがオブジェのようにに置かれているのですが、あとは闇・・・・。

ガイドさんの案内がなければ、一歩も進めない。
                 頭上の岩の割れ目から僅かに差し込む日の光は、ガイドさんに言われて目を凝らして
                 やっと分かる程度。光ともいえない、小さい微かな白い影にすぎません。

昼でさえこうならば、いったい夜は・・・・・? と思うと絶句してしまいます。
                 まさに真暗闇の中に、傷つき病んだ人々だけが、食べ物もなく、動くことすら出来ず・・・・

あ~、これは行ってみないとわからない・・・・言葉なんてどこかにすっ飛んでしまいます。                 出てきたときは、窒息したみたいに喉がつまってしまった・・・。

* 地上の資料センターに入ると、修学旅行らしき小中学生たちがいました。
                彼らは、写真や遺品などをひととおり見たものの、案の定、ワイワイとにぎやか。
                戦争証言者のビデオを見るというので、一緒にすわりましたが、こりゃ一発「静かに!」と
                怒鳴らなあかんわと思っていたのです。
           
ところが、ビデオが始まると、誰一人として私語を発しなくなりました。
                 立ち上がったりする者もなく、部屋の空気がはりつめていました。

しかも、帽子をかぶっていた子たちが、すっと帽子をとって膝の上に置いたんです!

見終わると皆、無言で立ち上がり、そうっと外に出てゆきました。
                 なぜか先生が同行していなかったので、すべて彼らの自主的行動だったわけです。


かれらのこの行動が、重苦しかった私の胸に沖縄の海風を少しばかり通してくれました・・・・・。 


彼らは、これから壕に行くようですが、いったいどんな感想を抱くのでしょうか。


資料室で、このガマで生死の境をさまよった人の凄絶な体験記の本を購入しました。

画像           アブチラガマにいた負傷兵の唯一の生き残り、日比野勝ひろさんの手記。




 そして、もうひとつ私の胸を温めてくれたのは、ガイドさん。
彼女は、まだ若い方でしたが、決して感情的にならずに、むしろ淡々と説明しているように見受けました。
                 ところが一言一言に深く心がこもっていて、訴えんとする彼女の想いが、グングンとこち                 らの胸に入ってくるんです。

                 毎日、何人もの人を案内して、同じ事を話しているのですから、よくある史跡なんかの
                 立て板に水みたいな案内になっても不思議はないのですが・・・

                 やはり、「このこと」を伝えるという使命感が、そうさせているのでしょう。 

彼女の魂に触れたような気がしていたら、私がよっぽど真剣な顔になっていたのでしょうね、彼女も真剣なまなざしになって、二人で「ウルウル」してしまいました。

Yさんというのですが、幼稚園児をもつ母親だとか。
                 Yさん、後の世代のためのミッション、がんばってほしいです!!

 そして、またひとつ、感じたことは
ガマの案内の仕方が、きちんと供養としてのマニュアルでなされることでした。 
                  訪問者は必ず、出入時に合掌し、また供養塔に祈りを捧げることを促されます。
                  こうした方法は本土の戦跡でも取り入れるべきだと思いました。                   

今、沖縄(特に本島)の様子はどんどん変わって来ています。
                  戦時中どころか、戦後の占領時代さえ思わせないほどに。
                  (基地がある限り、実際には何も変わっていないのですが)

沖縄に行かれる方は、必ず戦跡をたずねてほしい。
そして、憲太君の詩・・・「こんな青い空は戦争は似合わない」 をかみしめてもらいたいと私は思います。


〈 書籍をご紹介 〉 

                97年 芥川賞受賞作 目取真 俊著      画像


沖縄のこと、ヤマトンチューは、もっと真剣に考えなくては
いけないとつくづく思うのです。

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                 糸満港を望む

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